3月28日
これから映画3ドルのできあがっていく過程について書いていくつもり。
97年の12月22日の30才の誕生日に、映画製作者であり、親しい友人でもあるDaniel Nettheimからこの小説をもらった。この本は出版されたばかりだったが、翌年には、The Age Book of the Yearを受賞し、Miles Franklin賞にもノミネートされた。
この本は、そのときどきで、非常に異なった側面を私に訴えかけてきた。その時は私はアマンダがエディの人生に現れる事の意味を正確には良くわかっていなかった。彼女はエディの人生が進むべき道を指し示しているのか、彼の妻、Tanyaに対する節操を試す機会を表しているのか、彼女はエディの傷口に塩をすりこむような最低な状態の現れのバロメーターなのか。
この小説の政治的な側面は、3年後に読んだ時に、より明らかに感じられた
私はこの本を私のビジネスパートナーであるジョン・メイナードに読ませた。このころ、私たちは一緒に THE BOYSを制作し終わって、ちょうど、Dorothy Porterの、THE MONKEY’S MASKを映画にしようとしている途中だった。
THE BANKが終わってすぐに、次ぎの映画を捜しているところで3ドルに戻ることになった。ジョンは、より個人的で、情緒的な方向で、THE BANKの政治的な野心をさらに詳しく描くような巨視的な道をみつけるように奨めてきていた。
3年後にジョンは原作に戻り、彼の意気込みが、私が3ドルに戻るのを促した。
この3年で私の人生はカンペキに変わった。私は今や結婚していて、初めての子供が生まれようとしていて、第一抵当権にサインしようとしていた。
この流れの中で、小説の別の局面が頁から立ち上がってきた。エディと彼の妻、Tanya、娘Abbyとの関係が今やストーリーの中心になって読まれ、彼らが経済的に困難状態で生きていこうとするのに耐えなければいけないというプレッシャーが 明らかにそして身近に感じられるようになった。
「エディはそれを切り抜けて生きていくことができるだろうか」という事の方が、「エディはアマンダと寝るだろうか」という事よりも重要になった。不義と誘惑の問題は、エディの目の前にある混ぜ合わさった課題の一部として残って存在しているが。私は今や、なぜアマンダがエディの人生に現れ続けたのかということのより良い考えを持っている。
映画化するとしたら、構造的な難しさがあるにせよ、この小説の中には映画がある、ということでジョンと私の意見は一致し、それで私たちはDWへ本を渡した。
THE BOYS とTHE BANK の時に似て、クリエィティブ・チームは、私とジョンとデイヴィッドで分けあう、映画への共通する大望から発展した。
次ぎのステップはエリオットへのアプローチと、彼に我々へ映画化の権利を与えるよう説得させることについて
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監督のお誕生日がわかりました。なるほど。いつの間にかご結婚なされて、お子さんも生まれるとこなのね。おめでとう(^^)
自分の世界が変わると、本や映画から感じ取れる事がががらりと変わるというのは良くあることですが、この変化が映画作成にどういう影響を与えているのかなかなか楽しみです。
基本線は変わらないんだろうな、とは思いますが。
案外早くから原作へのアプローチはあったんですね。