るるむく日記

趣味にひた走るつれづれの日々

ロブ君のキャリア

せんだってのチャットで、ロブ監督、AFTR入学前どうしてたんでしょうね、という話がでました。勝手にDWと同期生かと思っていた私でしたが、確かMoloaiのインタビューで、DWが、「知り合ったのは舞台Boysの制作の時」って言ってましたよ、と教えていただき、ちょっと掘ってみました。

Qualifications? BA (Hons) in theatre studies UNSW and a BA from the Australian Film Television and Radio School.


CAREER PATH:Sydney Morning Herald:07/11/1998

えーと、UNSWってことはニューサウスウェールズ大学? NIDAとは別にtheatre studyのコースがあるんですね。年齢から考えて1985-1987あたりに在籍していたのでしょうか?
Ausstageを検索してみると、1986年と1987年に Amateurの舞台に出ていますし。
http://www.ausstage.edu.au/indexsearchresults.jsp?xcid=58
3ドルの時のロブログで
I’ve been reading Currency’s plays since Year 10 at school and own a huge collection (they’ve been the leading champion of Australian drama in print),
と言ってたロブ君、子供の頃からの舞台スキーだったことは間違いないようです。
で、UNSWを出た後どんな風だったのかは不明。最初から制作指向だったのかな? 91年のThe Boysの制作にかかわる前の記事はあまり見かけません。舞台制作のいわゆる下積み期間だったんでしょうか? The Boys以降は、1991年に、監督や制作として2つの舞台にかかわっています。つまり1991年はThe Boysを含めると3つの舞台の制作に関わっていたんですね。このまま順調に舞台制作のキャリアを積むのかと思いきや1992年からAFTRへ入学するわけで、舞台>映画への転向はびっくりですねぇ。舞台で全然目が出なかったから、という訳じゃないですし。
I pursued theatre writing, acting and directing through my fringe company, Missing Link. I realised, however, that I could reach a lot more people through cinema.こちらは上述のSMHの記事内から。より多くの人に映画を通して伝えたくなった、という事なんでしょうけれど、いつどうしてこういう気持ちになったのか気になります。



しかしひとたらし(制作の)ひとたらし(俳優の)に出逢うあたりのドラマをぜひ明らかにしてほしい!(笑)