るるむく日記

趣味にひた走るつれづれの日々

Bloken Sun 懐れた太陽

東京2日目夜はしんゆり映画祭に行って参りました。あわよくば豪州産物も買えるかと思ったのですが、私が着いたときは、17時を回っていたせいかそちらはもう撤収作業中のようでした。
今回オーストラリア特集がある、ということで、この日程で私が東京にいる、というのはこれはもう観に行けという天の配剤に違いない、と思い出かけて参りました。


そしてBloken Sun-懐れた太陽観てきました。


この映画は、1944年に起きたオーストラリアの捕虜収容所の日本人集団自決・脱走事件を背景にしています。
当時オーストラリアのカウラという町に(シドニーから内陸に400キロほどのところ)に日本人捕虜収容所があり、南方戦線で捕虜になった日本の兵士たちが収容されていました。
脱走は、当時の日本の戦陣訓にある「生きて虜囚の辱めを受けず」といった思想や、集団心理、急な移送命令、などいろいろな要因が重なっての結果起こった事のようです。


映画は、その収容所からの脱走兵であるマサルと、そのマサルが逃亡した先の農場主ジャックとのコミュニケーションをメインに語られています。現実世界では24時間にも満たない二人の邂逅ですが、その二人の出会いに至るまでの二人の過去それぞれを丁寧に描くことで、これまでどういったことがあって、今の彼らがあるのかが観客に伝わってきます。
ジャックは第一次世界大戦(おそらくは西部戦線)の生き残りで毒ガスにさらされ、親友を失い、30年近くたった今でも肺を病み、戦争のトラウマに悩まされ、孤独に生きています。
マサルは徴兵されて南方に送られ、人間を殺す事に立ち向かわされ、生きたいと願う気持ちと、強要された戦陣訓との間で揺れ続けています。文化背景も受けた教育も、今まで得た経験も異なる二人に共通する「戦争」の重圧は、やはり共通して二人に、恐怖や喪失の痛みを与えているように見えます。
収容所からの「お迎え」が来た朝にそれぞれが直面したモノとそこから先を考えると、戦争が人間という生き物に与える影響の残酷さを思わずにはいられませんでした。



観ている間も、そして観た後もいろいろと考えさせられる映画であったと思います。



映画終了後に、マサルを演じた宇佐見真吾さんがゲストで登場され、しんゆり映画祭実行委員長であり、日本映画学校講師で映画監督の千葉 茂樹さんとゲストトークが行われ、いろいろと興味深い話を伺う事ができました。
そもそも宇佐見さんは、オーストラリアには職業俳優としてではなく、国際交流基金を通じた日本語教師として渡ったそうです。その行き先がカウラで、当時宇佐見さんはカウラの脱走事件は知らず、現地についてから知ったそうです。その後俳優としての活動をはじめられ、このBroken Sunを撮影した監督とショートフィルムを撮ったりしていたそうですが、監督と2004年にカウラの捕虜収容所60周年の記念式典に行った際に、監督がその収容所の生存者である方々にインタビューする機会があり、この作品が生まれるきっかけになったそうです。



Broken Sunの公式サイトはこちら:http://www.brokensunfilm.com/
しんゆり映画祭のサイトはこちら:http://www.siff.jp/siff2008/