るるむく日記

趣味にひた走るつれづれの日々

オーストラリア感想

オーストラリア感想を。

まず見る前に漠然とした知識から(あえてネタバレ情報は避けていましたので)というのは、次のような感じでした。

「時代は第二次世界大戦を直前のオーストラリア。ニコール演じる英国貴族レディ・サラ・アシュレイは夫が残した土地と 1,500頭の牛を相続し、遠く離れたダーウィンまで牛を引き連れて行かなければならなかった。その際に牛追いの実質をしきるのがヒュー演じるドローヴァー。二人のロマンスと、アボリジニの少年との関わり合いを
ダーウィン空襲と絡めてかかれる。デイヴィッドの役はこてこての悪役らしい。」


以下ネタバレあり感想

見ていてへー こういう映画だったのかーと素直に驚きながら且つ楽しみつつ見ていました。
しかしサラとドローヴァーのロマンスといい、ナラの出生や立ち位置といい、フレッチャーの悪役ぶりといい、ここまでこてこてな設定がてんこ盛りなのにやけにすべてがあっさりしているなあ、というのが見終わっての印象です。
もちろんおもしろくない訳ではなく、かなりの長尺の映画ですが、最後まできっちりとひっぱってくれるのですが、何か映画の中での流れが散漫で、起承転結が一個じゃなくて、ストーリーの固まりがいくつかあるので、大河ドラマの総集編を見ているような気持ちになりました。
これはせんにアラトリステを見た時にも思ったのですが、一本の映画として見た時にちょっと締まりがない印象になるというか。


基本的に、アボリジニの母と白人の父との間に生まれた少年ナラの目を通して見た話、という設定なので、あらゆる意味でファンタジーなんですよね。ナラの見ている白昼夢的な映画という一面もあるのではないかと思ったりしました。
 ドローヴァーとレディ・アシュレイはひたすらキレイでやさしくて正しくて。世界は善良さと悪意とが混然としていて、そこに切り札的な扱いでアボリジニの魔法が入り込み、世界自身が書き割りのように現実感がない。
唯一現実感のあるのが、フレッチャーで、現実感があったのは、彼がふるう暴力を含め、彼がナラにとって一番わかりやすい悪だったのからではなかろうか? そんな彼も最後でナラの願望が満たされるように殺されてしまうし。

こういう書き割り的な作りとか誰かの目を通して語る枠を使うというのが監督が好きなんだろうなーと思いつつ眺める感じの映画でした。



個人的にはドローヴァーの役所をヒューが演じるのにはちょっとヒューがハンサム過ぎ、カッコ良すぎと思いました。
デイヴィッドの演じたニール・フレッチャーは物語の最初から最後まで出ていて、手を汚しながらも、だんだんにのしあがっていくあたりが、ブレのない悪役ぶりで良かったです。



どうでもいいことですが、ちらっと出て来た滝壺で水浴びのシーンはwalkaboutを意識してたんだろうかと思わないでもなかったり。