るるむく日記

趣味にひた走るつれづれの日々

人生初フルマラソン 東北・みやぎ復興マラソン

復興マラソン完走メダル


ラソンをはじめたのは6年ほど前、家人に「身体を動かさなすぎる。今後の骨量、筋肉量を考えたら運動した方がよい」という、話からでした。家人激押しの運動は「ランニング」(多分本人がランニングしていたから)

当時は多少ウォーキングをするぐらいで、決まって運動をするという状況でもなくランニングしよう! ランニングいいよ! と誘われていたものの、TV番組をみたり、マラソンの応援などには出かけておりましたが、ウォーキングと違ってやはりいろいろめんどくさそう、となかなかその気になれないでおりました。

そんな時、2017年、仙台の藤崎デパートの初売り福袋で、ランニング福袋が出たのです。
数量限定のその福袋は、この福袋に入っているものですぐに走れます!という感のランニングシューズとウェア(タイツやランニングパンツ、ジャージなど)セットと、シドニーオリンピック1万メートル代表だった高橋千恵美さんを講師にお招きしてのランニングクリニックに参加できるというものでした。
もしこの福袋が買えたら(数量限定でしたので抽選でした)ランニング始めてもよいのかも、というのが始めるきっかけでした。

はじめてみるとランニングはなかなか自分には合っていたようで、タイムはたいへん残念なものの、ゆるゆると走る距離を伸ばしていくことができ、ハーフマラソンにエントリーして完走できるようになっていきました。

そうしていきますとやはり「いつかはフルマラソン」という気持ちになってくるものですね。はじめたころは「いやいや、フルマラソンなんて、42.195キロなんてとっても無理無理無理無理」という感じだったものが、「いや、こう、練習していけば、フルマラソンいけるのでは???」と変化してきました。

というわけでこの「東北・みやぎ復興マラソン」です。

このマラソン大会は第一回が2017年に被災地復興寄与を旗印に開催されました。ちょうど私がランニングを始めた年にはじまった大会です。
実はこの第一回大会、フルマラソンの他に6キロのファンランがあって(2023年はファンランは2キロのキッズランと、親子ペアランのみ) 私はこれに出場していました。当時、はじめての大会、というのと、6キロなら走れるのでは? という気持ちからエントリーしたのです。
フルマラソンの大会という雰囲気もはじめてで、自分のランが終わった後、42.195キロを走り切って帰ってくるランナーたちを応援しておりましたが、漠然といつかこのフルマラソンを走れたら、と思ったものでした

2020から2022年はコロナウィルス感染症蔓延のため、大会は中止。今年2023年に、コロナウィルス感染症が5類に以降して、大会開催も決定、コースが変更になって、仙台の駅東、陸上競技場となりの道路から出発して、名取、岩沼を走るものになりました。

個人的な生活環境が少し変わり、何か新しい事をやり遂げてみたいという気持ちになったところでもあり、これはこの大会にエントリーして、それに向けて練習して行くのがよいのでは! と出走を決めました。


オンラインのマラソン大会に出場してはいたものの、リアル大会が久しぶりだったせいか、加齢のせいか、このフルマラソンの前に出た仙台ハーフや、山形まるごとマラソンはぐだぐだな走りになってしまい、どうにもくじけそうになってしまいましたが、今更あわててもしょうがない、とまずはエントリーしたときに決めた、「フルマラソン完走」を目指すを目標に走り方の作戦をたてました。

まあ作戦も何もないようなものですが、まずは前半にムリしない。安定した、完走ペースで走る(前半でキロ7分半くらい。後半ペースが落ちること前提)。地の利をいかしてコースの試走をできるだけしておく。エイドは全部制覇の勢いで、水分、栄養補給をしっかりとる。登り坂は走らず積極的に歩く。フォームを意識して、膝や足首に負担がかかりすぎないように気を付けるといった事です
大会当日は風のない穏やかな曇り空でした。わくわくしながら家を出て、仙台駅からは仙石線を利用し、電車内はほぼみなさんがランナーという中、宮城野原駅で下車。
医療センター脇のスタートスペースに到着しました。
申告タイムによるスタート順ですが、当然私は最後尾ブロック。スタート時刻から実際のスタートラインを通るまでは6分ほどかかりました。
走りはじめ、緊張しすぎていたせいか、身体に妙に力が入ってしまい、左股関節痛が出てしまい、「まさかのDNFどころか、DNS???」と半ばパニック状態になりかけてしまいましたが、歩きながら調整するうちに痛みもおさまり、無事走り出すことができました。
走り出してからは、決めていたペース配分を目標に走り、だんだんに気持ちも落ち着き、10キロ、15キロと走っていくうちに、「このままいければ完走できそう」という気持ちになってきました。
沿道の応援や、エイドステーションでの水、スポーツドリンク、フードの提供時のねぎらいの言葉など、とてもホスピタリティも高く、走るモチベーションにもつながりました。
中間地点の21.0975kmを過ぎ、いよいよ未知の領域へと入っていきました。30キロまではそこそこに足も動いていたのですが、30キロすぎたあたりからがったりとタイムが落ちていってしまい、35キロ以降は足があがらず、ああ、もっと練習しておけばよかった! 今更だ!! と辛さMaxの中、なんとかゴール、名取市文化会館へとたどりつきました。

無事制限時間内のゴール、6時間も切れて、予定通りではありましたが、もうちょっとペースが続いていれば5時間半切れたかも、とか、もう少しちゃんと練習していたらもう少し良く走れたのではなどと反省と欲が出てしまいましたが、
いただいたフィニッシャーズタオルと、石巻市名産の雄勝石を使った完走メダルを手にして、ああ、本当にちゃんと走れたのだ、と嬉しくなりました。


こうして無事フルマラソンを走り切ることができましたが、完走できたのは、練習からずっとサポートしてくれて、特に大会当日、自身のペースではなく、私の完走サポートペースで走ってくれた家人のおかげでもありました。改めて感謝です。
ランニングをはじめて、最初は1.5キロ先の公園までも走り続けられなくて、歩いて走って状態だったものが、フルマラソンまで走れるようになるとは我ながら感無量であります。

個人的には走りたい三大フルマラソンがあって、一つは今回走った 東北・みやぎ復興マラソン。そして名古屋ウィメンズマラソンホノルルマラソンです。
なんというか一度は走ってみたいあこがれマラソンが二つ残っていますが、いずれ走れたら良いなあと思っています。
2024年もハーフマラソンをメインにエントリーしつつ、フルマラソンをまたどこかで走れたらよいなと思っています。